2011年3月27日日曜日

日本の原発研究者や地震学者達の気持

                 被災後の東京電力・福島第一発電所

325日の朝日新聞に次の様な記事が有った。 日本原子力研究所(現・原子力研究機構)で研究室長などを務めた笹井篤氏(81)は「原子力には、核兵器や事故災害という負の部分が常につきまとう。 原子力の技術は我々の世代から次の世代に引き継げたと思うが、負の部分への思考を引き継げなかったのではないのではないか」という。 
若い世代と話すと、「原発事故は起こらないという神話を、本当に信じている」ようだという。
笹井氏は日本で最初の原子炉が稼働した2年後の1959年に研究所へ入った。 国際原子力機関(IAEA)の安全性検討委員などを務め、ソ連のチェルノブイリ原発事故の現地調査にも何度も行ったそうである。

今回の福島第一原発のトラブルに関して、東電などの情報開示にも疑問を持っている。 トラブルの程度や放射線の拡がりを正確に把握することに役立つデータが出てきていないという。 「原発周辺には、電源を使わなくても作動する放射線測定機を設置することが義務付けられており、事故後からの積算の放射線量が判る。 非常時にはこのデータを回収することがマニュアルになっているのに、公表されていない」。 また、地震で原発が非常停止する前に原子燃料がどれだけ燃えていたのかを示すデータも出ていないと指摘しているとうい。

      ↑ 25日に厚生労働省から指摘されても宮崎、宮城県はデータがない

公表されていないと思われる「データ」とは県別のグラフなのだろうか。 
朝日新聞27日朝刊紙上の「27日の都道県別の大気中放射線の値」表では福島県と宮城県のデータは白紙で有った。 元ネタはWeb上で探した下記の文科省のデータであろうと思う。 やはり、福島県と宮城県のデータは白紙で有った。 福島県は測定機の電源が云々ということもあろうが、宮城県の理由は解らない。 女川原子力発電所との関係でもあるのだろうか。


           ↑ Web上のテータ  宮城県と福島県は測定値がない。      


他の一人は三菱重工業で福島第一原発とは異なるタイプの原子炉の建設や運営に携わって来た柘植綾夫・芝浦工業大学長(67)は「創成期から原子力開発に携わった研究者として、責任を感じる」という。 また、「東電が福島原発で想定したマグニチュードはM7.9であるのに、M9.0の地震に耐えて原子炉が自動停止した点では技術者として誇っていいと思う」としたうえで、「想定以上の地震と津波だった。想定以上のことが起きたことは、設計側としての責任を追及されても仕方がない」という。 そのうえで、「原発は自動停止した後も、冷却を続けなければならない。 その時に外部電源がダメになっても、ディーゼル発電で補うという設計で安全への多重性を保っていた。 この多重性が損なわれたことは『想定外』だった」と反省している。

しかし、福島原発の現在の状況を考えると許されることではないと思う。 古文書によると、9世紀(869年)に「貞観(じょうかん)津波」が有って、千人以上の死者が有ったという記録が残っているという。 仙台平野の内陸部数キロまで津波が運んだ泥が残っているのが見つかったそうである。 
福島第一原発の設計当時、この津波の実績は判っていなかった。 その後、東北電力の調査で、仙台平野の
海岸線から約3キロ地点で波高さ3メートル有ったことが分かり、1990年に報告されたという。
1500年頃に東北から関東を巨大津波が襲った痕跡を産業総合研究所が見つけたという。 この地震のことはこのブログで3月12日に載せている。 鎌倉の大仏の話である。
 
名古屋大学の鈴木康弘教授(活断層学)は今回の東北関東大震災はけして『想定外』では無いとう。 石橋克彦神戸大名誉教授(地震学)は97年に今回の事態を予見したような論文を発表し、地震の被害と、放射線汚染が広域に拡がり、救済が妨げられる事態を「原発震災」と名付け、警鐘を鳴らしてきたという。 福島第一原発は今回の地震の原因とされる「プレート境界」が有ると知られていなかった40年以上前の設計である。
石橋氏は古い原発の耐震性の見直し、新設の原発の耐震指針の見直しを90年代から主張してきたが、産業界や政府の腰が重く、耐震指針が全面改定になったのは2006年だったという。 それから新指針に照らして、既存の原発の再チェックが始まったが、「津波」より「揺れ」に対する検討が優先され、作業中に今回の「原発震災」に遭遇したという何ともお粗末な『大人災』ということになってしまったのであるという。

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