2011年3月16日水曜日

計画停電 電力融通出来ない日本

↑ 富士川 

今回の東北関東大地震の津波の発生は東北地方の太平洋海岸に面した特に岩手、宮城、福島の3県の人的、物的被害は甚大である。 その他の東北地方、北海道や関東の都県を含めて被害に有った方々や親族・知人、職場を失ってしまった方々の悲しみには計り知れないものが有ると思う。
また、連鎖的に派生した東京電力の福島原子力発電所の事故は放射能の大量飛散問題と発電停止による電力逼迫問題を提起した。 生産活動の停滞と電力不足による「計画停電」なる「新語」を提供し、交通問題のみならず、社会混乱を招いてしまった。 日経平均株価は地震の発生した3月11日は約180円下げ、週明けの14日は約633円下落し、今日は更に約1015円値を下げた。 3日間の下落幅は約1830円の下落は17.5%であり、100年に一度の経済恐慌の引金であるリーマンショックの1万2214円が7千54円まで42パーセントの落込みには及ばないが、下落幅はそれでも40%を超えている。 
今後の株安が無いことを祈る次第である。

今回の株価の下落は原発事故の拡大と計画停電が大きいようである。 しかし、どちらも人間の英知で問題を小さく抑えられたのではないだろうか。 最初に計画停電に付いて考えてみたい。
2000年~2004年の夏季消費量は約1億7400万キロワットである。 その間の3月~4月の消費量は1億4000万~1億2000万キロワットである。 
東京電力の福島原子力発電所の発電能力は約900万キロワットである。 夏季消費量と3~4月の消費量差3400~5400万キロワットから考えれば、福島分の900万キロワットの電力会社間の融通がなぜ不可能か理解できない。 
既存の火力・水力発電所施設の定期点検や修理などの理由で融通不可能で有るとしても、将来のために是非検討して頂きたいことが有る。

 
↑ 静岡県の富士川が境界線

明治維新によって日本は欧米文明を積極的に導入した。 その際に大きな間違えをした。 
明治20年代の後半以降、日本にも電気技術が導入され始めた。 その際に交流電気の周波数では主に東日本は50ヘルツ(周波数の単位)のドイツの発電機、主に西日本は60ヘルツのアメリカの発電機を導入した。 その境界線は静岡県の富士川となった。 それ以来、この事態が定着してしまった。 富士川を挟んでサラリーマンの転勤などで住居が変更する時、場合によっては電気製品が不都合なことが起こることが有る。
上では消費電力からの視点で見たが、10電力会社の周波数によって技術的にみると、富士川の東側の50ヘルツの設備能力は8528万キロワット。 西側の60ヘルツの設備能力は9649万キロワットである。 
東京電力の属する50ヘルツ圏の8528万キロワットの内、北海道電力と被害の大きい東北電力の設備能力は2262万キロワットである。 それから900万キロワットの電力融通の期待は厳しいかもしれない。 

60ヘルツ圏の設備能力は9649万キロワットあるが、ここからの電力融通には交流周波数の変換問題が浮上する。

太平洋大戦後、電力業界はGHQの指導により地域をベースに9分割された。 昭和35年以降の日本経済の高度成長期に「電力融通」のチャンスも有った。 それは周波数変換機の導入であるが、2~3の試みはなされたらしいが、大きな取り組みにはならなかった。 電力会社は消極的であった。 その後も政府と電力業界を取り巻く業界や識者の呼び掛けには聞く耳を持たなかった。
一つの国の電力に複数の周波数をもつ国が日本以外に有るだろうか。 電力上で見ると日本国土には二つの国家が存在するようなものである。

地球温暖化対策として、ヨーロッパでは風力や太陽光の活用に積極的である。 EU圏の拡大の影響も追い風となり、広域電力網の計画や検討が進行している。 ヨーロッパ大陸の大西洋海岸、遠浅な北海やスカンジナビア半島の風車群とサハラ砂漠をはじめとするアフリカの広大な砂漠に太陽光利用の発電設備を建設し、それらを結ぶ広域電力網を構築しようという計画であるという。 地中海沿岸諸国、中東諸国、ヨーロッパ大陸、英国、スカンジナビア3国や将来的には中欧、ロシアやインド、アジアまで延長させうるという構想すら有ると言う。
この様な情報を知ると日本はやはりガラパゴス的存在なのだろうか。
 

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