↑ 引落されるサダム・フセイン像
Blog110308 イラク戦争 「捏造された情報」
10年ひと昔という言葉が有るが、イラク戦争ははるか昔の戦争で有ったような気がする。 来る3月20日で「イラク戦争」開戦後8年目の記念日である。 そんな時期にタイミングを合わせているようなニュースである。
イラク戦争開始の根拠であった大量破壊兵器の情報は「捏造」だったというのである。
2003年2月、開戦直前に米国のパウエル国務長官が国連でイラクの大量破壊兵器隠蔽の「証拠」と思われるペーパーをかざしながら、フセイン政権打倒理由を強調していた映像は今でも鮮明に記憶している。
今回の情報はロンドンの英紙ガーディアンが2月16日付紙面で伝えたものだと言う。 それによると、イラクの化学エンジニアーの男性が、2000年3月にドイツへの亡命が認められた。 その男性はフセイン政権を倒すために、大量破壊兵器の開発疑惑情報を独連邦情報局(BND)の当局者に提供し、「サダム・フセイン(大統領)追放のチャンス」を狙ったという。
独BNDは02年5月以降、頻繁にその男性と接触し、取得した情報を米国へ伝達したものと思われる。
本当にこの情報がパウエル国務長官の主要情報源であったとしたら、イラク戦争とは何だったのかと思う。
1お万人以上のイラク国民が犠牲になっているであろうし、重傷~軽傷の被害者はそれに数倍されるであろう。
ベトナム戦争の「トンキン湾事件」と似たようなパターンである。 ベトナム戦争では多くの南北ベトナム人に犠牲を強い、また多くの米国兵の犠牲だけでなく、参戦した多くの米兵が精神的に異常をきたしたのであり、多くのアメリカ国民の心を引き裂いた。 兵器産業の一時的な繁栄以外は得るもの少なく、多くのものを失った戦争だったと思う。
「トンキン湾事件」とはアメリカがベトナム戦争に深く係わるきっかけを作った事件で有った。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナムの哨戒艇が米海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射して、大きな被害を与えた。 これをきっかけに、アメリカはベトナム戦争に大規模に介入し、「北爆」と言われる北ベトナムへの空爆を開始したのである。 アメリカ議会では上院では88対2、下院では416対0で大統領支持を決議したという。 2001年の9・11テロの対処、アフガニスタンのアルカイーダ攻撃やイラクのフセイン攻撃と同じパターンである。
しかし、この「トンキン湾事件」は後に意外な事実が露呈する。 その事件より数年後の1971年6月、ニューヨーク・タイムスの二―ル・シーハン記者が、報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年~1968年』、別名“ペンタゴン・ペーパーズ”を入手し、「トンキン湾事件」はアメリカが仕組んだものだったことを暴露したのだと言う。
「イラク戦争は」は「ベトナム戦争」のコピーの様なパターンで有った。 日本が1931年に中国において「柳条湖事件」を契機に「満州事変」を展開したのも全く同じパターンである。
人間という動物は戦争が好きな動物なのであろうか。 いや、戦争を始めると大きな金儲けが期待できるのかもしれない。
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