東北関東大震災による死傷者数は日毎に数百人の規模で増加しているが、地元の人達や自衛隊、ボランティアの努力にも拘らず津波による家屋や漁船などの残渣の片づけははかばかしく進まない。
一方、東電の福島第一発電所の状況も東電や消防、警察、自衛隊などの決死に近い努力によって一進一退では有るが、ここ一二日は光明も期待されるように思われるが、決して予断を許される状態ではない。
チェルノブイリ原発事故の時の欧州諸国の様な定量的情報提供が無いものだから、技術立国日本にしては風評が先行して国民に動揺を来している様な気がする。 アメリカからの海軍や原子力の専門家の派遣も始まったようであるが、一方では日本に滞在している自国民の日本脱出に取り組んでいる。 これは他の外国諸国も同様な処置に出ている。
世界の主要課題の「脱化石エネルギー」の対策として注視されている「原子力発電」が世界各国の関心を集めている折であるので、東京電力福島原子力発電所の今回の事故は世界各国の注目を集めている。 特にドイツ政府及び国民の関心は強い。 ドイツは先進国や新興国を含めて「脱原発宣言」を行っている唯一の国家である。
メルケル首相は事故3日後の3月14日には国内17基の原発中、1980年前に稼働した7基の運転を3カ月間停止し、総点検を指示している。 ドイツにはそれなりの理由が有るようだ。
月刊誌『世界』2011年1月号の梶村太一郎のドイツの原子力発電問題の記事によると、2000年6月に時の政権・社会民主党(SPD)のシュレーダー前首相は緑の党と「脱原発」で合意した。
原発法案では原発の許容発電年は32年間の稼働とし、法律に基づいて32年間の稼働を終えた3基が廃炉になっている。 2022年までに原発を廃止し、電力の80%は風力及び太陽光電力などの再生可能電力に転換し、20%は現在も使用している石炭に依存するという。
一方、東ドイツはバルト海のルプミン海岸に1974年から89年までに建設して稼働していた5基のソ連型原子炉が稼働し、東ドイツの電力の約10%を賄っていた。
1989年の東西間の壁崩壊後の東西ドイツ統合により、5基の原発は停止後、廃炉とした。 また、建設中の3基の原発は建設中断、廃炉して跡地は緑の野原として原状回復させた。 但し、ほぼ完成していた6号炉は原子燃料挿入前の汚染されていない状態で有ったので記念として残し、公開しているという。
ところが、2009年9月の総選挙で党首メルケルのキリスト教民主・社会同盟(CDU)と自由民主党(FDR)は「原発は再生エネルギーが核エネルギーにとって代わるまでのつなぎ(橋渡し)技術とし、厳格な安全基準を護り、原発の稼働期間延長を行い、それに基づく事業主は収益の一部を再生エネルギーに投資する」ことを連立協定として、総選挙の争点として政権を獲得した。
その直後の9月28日の下院に上程し、戦後ドイツ議会史では例外的に激しい議論の応酬の末、10月28日の本会議で可決した。 この採決に対して与党の20人程が投票に参加していないし、与党出身の衆議院議長は審議が充分でないとの理由で白票を投じている。
その議案の主旨は17基中の古い8基は8年間の延長、残り9基は14年間の延長であり、平均で12年の延長である。 原発稼働は2037年までである。
政府与党は上院の承認は必要ないという。 これに対して、与党出身の衆議院議長は異を唱えている。 ただし、下院(衆議院)では通過したが、野党勢力の大きい上院(参議院)では審議していないという。 ドイツでも上下院のねじれ現象が発生している。 最終的には承認には大統領の承認が必要であるが、2011年1月時点では署名はされていないという。 大統領の署名がなされたとしても、憲法裁判所の判断がどうなるか予断は出来ないという。 ドイツでは日本の原子力発電所事故の問題が日本以上に気になっていることであろうと思われる。
それにしても今回の福島第一原子力発電所の第1号機は1971年の営業開始であるから、メルケル首相以前のドイツであるなら、32年間の稼働年であるから8年前に廃炉になっている運命であった。 第一発電所の6基は全て1979年以前の営業開始であるから、ドイツなら全て廃炉の運命である。 これが技術立国日本と同じ技術立国日本の差である。
今回の原子力発電の問題とは別であるが、私の驚くことは、上に掲げた月刊誌『世界』の記事を書いた記者の梶村太一郎氏は1964年生まれのフリージャーナリストであり、1974年以来ベルリン在住で、ドイツ外国人記者協会会員ではあるが、記事によるとドイツの衆議院議長と単独会談を行い、今回の情報収集を行っている。 日本では考えられないことである。 いかに情報公開が行われているかということを知った。 ほかのレポートにもこれに似たことが報じられている。
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