blog110221 日本ももう少しEU化出来ないのか?
最近、民主党首脳部の小沢一郎議員の処置、そして彼の支持者達の行動には凄まじいものがある。
国民新党の亀井静香議員が民主党の現状を評して、「連合赤軍を思い出す」といったというが、内ゲバ状況はうまい喩えだなと思った。
現在は、アメリカもどこの国でも似たようなものでは有るが、民主党とそれに対する自民党と野党連合との関係もそれに近い状況のようにも思われる。
今年の1月より3月まで久留米大学の児玉昌己教授による『EU・ヨーロッパ統合の政治史』というNHKのラジオ講座が続いている。 30分間で12回である。
どなたも御存じでは有るが、ヨーロッパの歴史もまさに「戦争の歴史」である。 ヨーロッパを舞台で戦われた戦争で、17世紀の30年戦争、18世紀後半の普仏戦争や20世紀の第一次・第二次大戦も隣国同士のドイツとフランスは将に主戦場であった。
流石に歴史から学習したのであろう、第二次大戦後の壊滅的に破壊した独仏は固く手を握って、今日に至っている。
1950年の欧州防衛共同体(EDC)の提唱に始まり、翌年にフランス、西ドイツ、イタリアとベネルクス3カ国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の6カ国によって欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約が調印された。 アメリカ合衆国の人口が約3億2千万人であることと比較したらその組織の大きさが理解できる。
目的は市場統合であり、「規模の拡大」のため、域内の関税を撤廃し、「ヨーロッパ人としての一体感の育成」を目指したという。 最終到達点は「ヨーロッパ合衆国」だった。
1957年3月のローマ条約で欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EAEC)が創設された。 1957年ローマ条約で欧州共同体(EEC)が創設された。 しかし、その前途には多くの難問があった。
加盟国内で働く労働者の職場が関税撤廃などで将来の展望がどうなるかという心配。 ドイツ社会民主党(SPD)とドイツ最大の労働連盟(DGB)及びイタリア共産党やフランス共産党の存在。
他方は国家主義、その最たるものは1958年6月にフランスのドゴールが首相となり、更に、翌年1月に大統領になってから、国家主権がEECという国際統合組織に移譲することに対する大きな抵抗。 ドゴール大統領はEEC自体について、超国家的、連邦主義的プログラムに強い不満を持っていた。 すなわち、加盟国の主権国家としの意思よりも、EECの統合組織の方に大きい権威が有ることに絶えられなかった。 1965年は将に、「EECの危機」もあった。
サッチャーが1979年にイギリスの首相となると、当時、農業労働者の少ないイギリスは農業政策に70%を支出するEEC予算ではイギリスの分担金は過重であるとして、分担金の返還要求を主張した。
このような大きい苦難を乗り越えて、今日のEUに至っている。
2010年末時点で加盟27カ国、人口5億人であり、各国家の主権に替わって経済通貨、外交や共同防衛を担当する。
この間、1985年からの欧州委員会の委員長にフランスのジャック・ドロールが選出されたが、彼は「ミスター・ヨーロッパ」としてヨーロッパの統合史に残る人物だそうである。
その委員長選出に際し、本来なら委員長の選出は18年ぶりにドイツの順番であったという。 当時のEC内でのドイツ経済の強さとイギリスのサッチャー首相の対抗意識を考慮して、委員長選出に際して、ドイツのヘルムート・コール首相は委員長として、フランスのドロールを支持したという。 国益より、欧州の統合を選んだそうである。 コール元首相の了見の深さは素晴らしい。
日本の政治家も少しはこのような、腹の太いところを見せてもらいたいものである。
サブプライム・ローン破たん以降のEUの課題とPIIGS(ポルトガリア、イタリア、アイスランド、ギリシャ、スペイン)の問題、特に昨年のギリシャ、アイルランドの財政危機は大きな問題である。 しかし、軌道修正すればよい。
第二次世界大戦後60年で戦争の無いヨーロッパを構築した知恵と貢献は大いに評価してよいのではだろうか。 第一次大戦と第二次大戦の間は約30年である。 この2度の大戦による人災と経済的、文化的、精神的損失などと比較したら、今回の経済危機の損失など小さいものであろう。 これからの授業料と考えることもできる。 EU構築過程の平和による収穫は実に大きいと思うし、過去に無かったことである。
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