1968年(昭和43年)年末、初めてアメリカへ出張したとき、日本商社の駐在員Tがウィークエンドにニューヨーク市にあるマンハッタン中央部に位置するセントラルパークの北に連なるハーレム地区をドライブによって車中より見学させてくれた。 12月の中旬であるから乗用車の窓は当然閉めているが、運転している商社員はなるべく「黒人」と目を合わせないで欲しいと言った。目が合って、交差点など赤信号で一時停車などで、犯罪に結びつくことが有る場合があるという。 それほどに治安の悪い地区であった。 当時は「黒人」と言ったが、今は「アフリカ系アメリカ人」という。
退職後、いまから3年前にニューヨークを訪問した時、公共バスでマンハッタンの中央部からハーレム地区を車窓から見学し、マンハッタンの北端の終点まで乗車し、一時間後に同じコースをたどってホテルへ戻った。 しかし、何の不安もなかった。 ハーレムも明るく、綺麗になったと思った。
それから2年後の昨年、またニューヨークへ言って、同じコースをトライした。 環境は改善こそすれ、悪化するものはなかった。
雑誌などで、情報を把握していたが、確かだった。 1968年からニューヨーク市は民主党の市長が長かったが、1994年から2001年まで共和党のルドルフ・ジュリアーニが市長としてニューヨーク市の治安向上に貢献した功績は非常に大きいという。 頂上作戦としてのイタリアンマフィアの撲滅から、街筋に警官の数を増やし、特にハーレム地区の治安は画期的に向上したという。
お陰で、治安向上で観光客の増加に伴うニューヨーク市の税収増は年間10億ドル以上であるそうだ。
現在ではニューヨーク市はアメリカで一番治安のよい都市であるといわれているそうである。
私は40年前のアメリカと比較して、非常に安全度の高いニューヨークの観光を楽しむことが出来た。
人間一人の指揮統率によって、行政という「ソフト」がこれほど変化するのかという体験を垣間見て『目からウロコ』である。 つい、日本と比較してしまう。
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