2011年2月19日土曜日

サルコジ大統領の挑戦 通貨制度改革


前回はサルコジ大統領に世界的な食料価格高騰抑制に夢を託したが、もう一つ大問題に挑戦してもらいたいと思う。 それは通貨制度について辣腕を振るって欲しいと期待したい。 
まったく専門外の人間であるが、70年生きてきて、現在の世界の通貨体制はおかしいと思う。
サルコジ大統領はG20の今年の議長である。 来春はフランスの大統領選挙がある。 そればかりでなく、真剣に考えて行動しているのであろう。 
今年の2月18,19日にパリでの財務相・中央銀行総裁会議に先駆けて昨年、G20,すなわち20カ国・地域の各国で通貨を担当したOB等に依頼し、「通貨制度改革」レポートを求めたという。
国債通貨基金(IMF)のカムトシュ元専務理事を中心に、米国のボルガー連邦準備制度理事会(FRB)元議長、日本の国際通貨研究所理事長の行天豊雄や中国の現職の人民銀行副総裁などが昨秋から議論を重ねた報告書に基づいて、サルコジ大統領は試案を作成して、今回の会議に臨んだという。
フランスとしての背景はドゴール大統領が1944年のブレトン・ウッズ協定以来のアメリカ・ドルが基軸通貨になっていることに異を唱えてはいたのだそうだ。 
IMF(国際通貨基金)や通称の世界銀行(IBRD・国際復興開発銀行)はアメリカ・ドルをベースとして、世界一の金保有量を背景に、アメリカの通貨である米ドルを固定為替相場制を介して、間接的に金と結び付く形で、金本位制としたのである。
即ち、第二次世界大戦による破滅的に破壊したヨーロッパ、アジアと日本の復興はアメリカが引き受けるという大変有難い思いやりではあったのであろう。
廃墟と化したに近かった国家、西ドイツや日本が貧窮の中で努力と貯蓄を重ねた。 相対的にアメリカの旧式な設備と生産方式では当時の復興国(西ドイツと日本)の発展に押され、立ち行かなくなると、1971年にニクソン大統領は金の兌換性を廃止した、いわゆる「ニクソン・ショック」である。 




日本に関しては今まで1ドル360円であったのが、307円となり、1973年から変動為替制に移行すると、たちまち1ドルが200円を割り、一時的には180円にもなったが、200円から250円の間をを変動していた。
ニクソン・ショックから15年後の1985年、「プラザ合意」で一気に120円という円高にまで進んだ。 さらに10年後の1995年4月には一時的ではあるが1ドル79円75銭を記録している。
サブプライムローンの破綻で、アメリカの連邦準備銀行(FRB)が多額の資金を市場に放出すると1ドル80円まで円高にならなかった。世界の金融だけでなく、政治でもアメリカ中心では世界をコントロール出来ない時代に突入したのであるから、基軸通貨をドルから解放してしかるべきであると思う。
日本の2010年の17兆ドルであるから、もしこのような現象がなかったら、経常収支は25.5兆円である。 輸出と輸入では立場は相反するであろうが、輸出立国日本の輸出額は2倍であったろうし、GDPももっと増加していたかもしれない。 
アメリカという国家貨幣が基軸通貨となっていることが大きく影響しているのではなかろうか。
金本位制度なら、このようなことはないはずだ。 しかし、金ではその希少性によって、現在から未来への展望としてはダイナミックに増殖する世界経済の血液としては貧血状態を露呈するであろう。 ただし、金本位体制時の金価格は1919年に世界の金融王と言われたロスチャイルド5家によってロンドンに設立された金取引所(LME)に於いて、ロスチャイルドで価格設定されていたというから、問題なしではなかったであろう。
まして、先進国の経済はBRICs(ブラジル、ロシア、中国、インド)のみならず、そのほかのG20の国々の活況に支えられているのが現状である。
貨幣制度も上記BRICsなどの意見を取り入れたものとせざるを得ないであろう。
ユーロ諸国は今回のギリシャやアイルランドなどの国家危機で大きな問題を抱えてしまったが、ユーロに至る1951年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)発足から60年で今日の「ユーロ」を築くことが出来た。 ユーロ機構構築のドイツと並んで2本柱であるフランスには新しい通貨制度改革を行うノウハウと経験が蓄積されていると思う。 
サルコジ大統領はそのフランスの統率者のである。 多いに底力を発揮してほしいと思う。

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