2011年2月16日水曜日

サルコジによるパリの治安激変


1984年から3年間ほど当時の西ドイツに駐在したので、パリなどへも旅行はしやすかった。 それ以前にも出張でパリへ行ったこともあったから、パリはアットホームな家族旅行が出来た。
当時の西ドイツは「治安」という言葉を意識することなど気付かないくらい治安が良かった。 従って、ヨーロッパのどこへ旅行するにも治安は安全だった。 若き頃のニューヨークのハーレムの治安の悪さとは雲泥の差だった。
しかし、ヨーロッパにいた時でもイタリア、特にローマは治安が悪かった。 西ドイツ駐在家族がローマへ旅行して、時に被害に会うと話はすぐに拡大して、駐在員社会を駆け巡る。 したがって、ローマへ旅行するときは注意した。 しかし、ローマ市のメインストリートのはずれで家族4人が男女8人位の不良中学生仲間に取り巻かれそうになったことは有ったが、うまく難を逃れた経験はあった。
退職後の2004年の春、6人のグループでヨーロッパ旅行をした。 旅行社の添乗員からもパリ市内の治安の悪さは何度も聞かされ、繰り返し注意されていた。
早春のうららかな陽光のパリ市内散歩に出かけてすぐに、地下鉄の乗り換えのエスカレータを昇降中に集団すりに遭遇した。 被害は私だけで、少額の金品だったので不幸中の幸いだった。 犯人は2~3人のグループで人種は中東系と思われる風貌であった。 プロレスラーのように体格は我々の2倍ほどもある。 手際とスピードは実に良く訓練されていたと思う。 実行部隊の両親達と思われる老人達と小さな子供達を含む15人ほどのグループや3人のニセ警官からなっていた。 組織とシステムが素晴らしい。 あっぱれである。 後になって思うと、抵抗したら出血はまぬかれない状況だったと思った。
その後、パリの中心部のオペラ座やルーブル美術館近辺などの人通りの多いメイン通りを6人で散策していても、タクシー待合場所でも変な風貌な2~3人の男達に付きまとわれた。 実に不愉快な観光都市パリだった。 1985年頃のパリと大きな変貌である。
2004年より3年半ほど後に懲りもせず、パリへ出かけた。 知人Cがパリに駐在して、治安は非常に良いから是非いらっしゃいと言うので、その知人も赴任して半年たったので、フランス語にも、パリの土地にも少しは慣れてきたと思ったので、出かけることにした。 3年前のことでもあったので注意はしていた。
パリの市内を歩いて、治安の良さに驚いた。 信じられなかった。 3年前は何だったのかと思った。 知人家族と市内を散策しても、連れ合いと二人で市内のどこをふらついても治安の悪さを感じることはなかった。
知人達に2004年のいやな経験を話しても、半年前に赴任してそのような治安の悪さは聞いていないという。
現在のサルコジ大統領が2005年5月に内務大臣に就任して、辣腕をふるい、各種犯罪を排除したという。 先の事件は思い出したくもなかったが、日本の国内へもサルコジ内務大臣の辣腕の情報は時には流れてきてはいた。 その都度、あまりにもドラスティックな手段は反発に打ち消されるのではないかとさえ何度も思った。 しかし、サルコジは犯罪グループを力で抑えつけたのである。 警察力の強化などにコストは費やしたであろうが、パリへの観光客も増加して税収も増加したであろう。 それは1994年からのニューヨークのジュリアーニ元市長と同じような政策と効果であろうと思った。 パリ、いやフランスでもサルコジという一人のトップによって社会の激変を垣間見ることが出来た。 これも『目からウロコ』である。 つい、日本と比較してします。

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