2011年3月16日水曜日

計画停電 電力融通出来ない日本

↑ 富士川 

今回の東北関東大地震の津波の発生は東北地方の太平洋海岸に面した特に岩手、宮城、福島の3県の人的、物的被害は甚大である。 その他の東北地方、北海道や関東の都県を含めて被害に有った方々や親族・知人、職場を失ってしまった方々の悲しみには計り知れないものが有ると思う。
また、連鎖的に派生した東京電力の福島原子力発電所の事故は放射能の大量飛散問題と発電停止による電力逼迫問題を提起した。 生産活動の停滞と電力不足による「計画停電」なる「新語」を提供し、交通問題のみならず、社会混乱を招いてしまった。 日経平均株価は地震の発生した3月11日は約180円下げ、週明けの14日は約633円下落し、今日は更に約1015円値を下げた。 3日間の下落幅は約1830円の下落は17.5%であり、100年に一度の経済恐慌の引金であるリーマンショックの1万2214円が7千54円まで42パーセントの落込みには及ばないが、下落幅はそれでも40%を超えている。 
今後の株安が無いことを祈る次第である。

今回の株価の下落は原発事故の拡大と計画停電が大きいようである。 しかし、どちらも人間の英知で問題を小さく抑えられたのではないだろうか。 最初に計画停電に付いて考えてみたい。
2000年~2004年の夏季消費量は約1億7400万キロワットである。 その間の3月~4月の消費量は1億4000万~1億2000万キロワットである。 
東京電力の福島原子力発電所の発電能力は約900万キロワットである。 夏季消費量と3~4月の消費量差3400~5400万キロワットから考えれば、福島分の900万キロワットの電力会社間の融通がなぜ不可能か理解できない。 
既存の火力・水力発電所施設の定期点検や修理などの理由で融通不可能で有るとしても、将来のために是非検討して頂きたいことが有る。

 
↑ 静岡県の富士川が境界線

明治維新によって日本は欧米文明を積極的に導入した。 その際に大きな間違えをした。 
明治20年代の後半以降、日本にも電気技術が導入され始めた。 その際に交流電気の周波数では主に東日本は50ヘルツ(周波数の単位)のドイツの発電機、主に西日本は60ヘルツのアメリカの発電機を導入した。 その境界線は静岡県の富士川となった。 それ以来、この事態が定着してしまった。 富士川を挟んでサラリーマンの転勤などで住居が変更する時、場合によっては電気製品が不都合なことが起こることが有る。
上では消費電力からの視点で見たが、10電力会社の周波数によって技術的にみると、富士川の東側の50ヘルツの設備能力は8528万キロワット。 西側の60ヘルツの設備能力は9649万キロワットである。 
東京電力の属する50ヘルツ圏の8528万キロワットの内、北海道電力と被害の大きい東北電力の設備能力は2262万キロワットである。 それから900万キロワットの電力融通の期待は厳しいかもしれない。 

60ヘルツ圏の設備能力は9649万キロワットあるが、ここからの電力融通には交流周波数の変換問題が浮上する。

太平洋大戦後、電力業界はGHQの指導により地域をベースに9分割された。 昭和35年以降の日本経済の高度成長期に「電力融通」のチャンスも有った。 それは周波数変換機の導入であるが、2~3の試みはなされたらしいが、大きな取り組みにはならなかった。 電力会社は消極的であった。 その後も政府と電力業界を取り巻く業界や識者の呼び掛けには聞く耳を持たなかった。
一つの国の電力に複数の周波数をもつ国が日本以外に有るだろうか。 電力上で見ると日本国土には二つの国家が存在するようなものである。

地球温暖化対策として、ヨーロッパでは風力や太陽光の活用に積極的である。 EU圏の拡大の影響も追い風となり、広域電力網の計画や検討が進行している。 ヨーロッパ大陸の大西洋海岸、遠浅な北海やスカンジナビア半島の風車群とサハラ砂漠をはじめとするアフリカの広大な砂漠に太陽光利用の発電設備を建設し、それらを結ぶ広域電力網を構築しようという計画であるという。 地中海沿岸諸国、中東諸国、ヨーロッパ大陸、英国、スカンジナビア3国や将来的には中欧、ロシアやインド、アジアまで延長させうるという構想すら有ると言う。
この様な情報を知ると日本はやはりガラパゴス的存在なのだろうか。
 

2011年3月13日日曜日

ソ連のチェルノブイリ原発事故の記憶

                                          ↑ ドイツ・ミュールハイムの原子力発電所 

Blog110313 ソ連のチェルノブイリ原発事故の記憶

独逸の4月は素晴らしい季節だった。 長い厳しい寒さから解放されて、公園の花壇の花や道路沿いの草木の花々が一斉に咲き出す。 そんな気分に浮かれだすような約25年前の1986年4月の26日に、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の大きな事故が発生した。 
3月11日の東北関東大地震によって、東京電力の福島第一、第二原子力発電所も大きな被害を受けた。 テレビの報道はテレビ局の室内。 続いて津波による人家、自動車や漁船が街並みへの流動。 人災へと報道内容も変化していった。
12日の朝は菅首相のヘレコプターによる東京電力福島発電所視察で始まった。 テレビ局によって異なるが、
原発(原子力発電所)に関する報道の割合が増えていった。 午後3時30分になると、第1号機から白煙が立登ったり、天井が吹き飛んだという不確か情報が流れる。 数時間遅れて政府説明がある。 時間と共に心配な情報が増す・・・。

約25年前の記憶もだいぶ希薄になっていたが、独逸へ行って2年目に入ったばかりだった。 ちょっとした買い物や、朝夕の挨拶くらいしかドイツ語が判らないので、テレビや新聞の内容はちんぷんかんぷんである。 しかし、大半のテレビニュースには地図に赤色でマークが表示さる。 事故の有ったチェルノブイリ発電所を中心として、爆発によって人体に悪影響の有る放射能の拡散区域が赤色で表示される。 その領域は毎日少しずつ拡大してゆく。 だんだんわれわれの住んでいる方へ領域は拡大されてゆく。 怖かった記憶がある。 
その赤色区域の野菜は食べないようにとか、影響下の草を食べた牛の牛乳や乳製品は避けるようにという解説が有った記憶がある。 われわれ日本人にとって、青野菜の食べられないのはつらい。 ジャガイモと玉ねぎは前年のものだから、青野菜の代わりにジャガイモと玉ねぎを食べようと言っていた。 それに対してドイツ人は、肉食だから当面の肉は大丈夫だ。 ドイツ人にとっては乳製品は問題であると言われた。 
しかし、人間に対して悪影響の有る地図上の赤色領域は当時の西ドイツに達する前に情報が消えたと思う。

今回の情報で、被曝の恐れの有る90人から、任意に3人を選択して検査した結果、3人とも放射能を浴びているとの報道が有ったと記憶している。 なぜ全員の検査をしないのだろうか? 放射能は津波の様には目視出来ないのだから、25年前のドイツの様に地図上に色分けして国民に情報公開してほしいと思う。 ドイツ以上に科学技術に優れている日本で有るというのであるから、それくらいのことをしてほしい。 このような問題は科学的に説明してほしいものだ。
当時を思い出す。 福島第一、第二原子力発電所の近辺には農耕地は無いのでしょうか。 もし、野菜でも栽培しているのであれば、野菜は食べても放射能の影響は無いのか、数ヵ月後には田植えが有るだろうし、お米は大丈夫なのか知りたいものである。

2011年3月12日土曜日

東北関東大地震と津波の恐ろしさ


Blog110312東日本大地震と津波の恐ろしさ

中学生の修学旅行や熟年の歴史散歩で奈良へ旅行すれば、コースに入る主な対象は高松塚古墳の壁画、聖徳太子の法隆寺、東大寺などである。 東大寺と言えば大仏である。 すなわち、太平の盧舎那仏(るしゃなぶつ)は西暦750年頃、聖武天皇によって建立されたことは良く知られていることである。 約15メートルの高さの大仏は金堂という大仏殿に鎮座していることも、広く知られていることである。

それに対して鎌倉の大仏は奈良の大仏より一回り小さく約11メートルの高さである。 奈良の大仏と異なって、大仏殿には収まっていない。 ブルーシートは無いが、野宿である。 大仏は鎌倉幕府成立の少し前に木造の大仏であったらしいが、鎌倉幕府の体制確立と時期を合わすように1250年頃に銅造の大仏が建立され、大仏殿に鎮座されていたと複数の文献に記されているという。
250年ほどの年月が過ぎた1500年頃に発生した地震によって大きな津波が発生して、大仏殿が押し流されて、現在の優美な姿を太陽と風雨にさらされて今日に至っているのである。

現在は高徳院(こうとくいん)という鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院に鎮座している。 Google社の「Google Earth」によってWeb上で調べると、この寺院の標高は約15メートルである。 当時の地形は現在と異なり、海岸線は大仏の近くであったという。 一方、平成12年から13年(20002001年)の境内発掘調査の結果、応安2年(1369年)の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見出されなかったという情報も発表されている。 どちらを信じて良いか判断しがたいが、もし前者の「津波説」を信じるとして、神奈川県の湘南海岸でも今回の「東日本大地震」の例と比べてみると10メートル前後の津波発生が有ったことになる。
東日本に限らず、日本では何時、何処でも地震によって10メートル前後の津波が押し寄せて来るやもしれぬということを覚悟しておかねばならないということを知らしてくれた尊い教訓であった。

2011年3月10日木曜日

建築家レイモンドと東京大空襲

                ↑  群馬音楽センター 1961年建築 

Blog110309建築家レイモンドと東京大空襲

明日310日はあの忌まわしい「東京大空襲」から66年の歳月が経過したことになる。 「東京大空襲」を語り、想い出せる日本人の人口比率も少なくなってきた。 私は東京から100Kmも離れた小さな、静かな農村地帯に住んでいた7歳に近い少年だったので、「東京大空襲」などを知らなかった。
成人して、会社の同僚から耳にしたことは、彼の話では1945年3月10日の「東京大空襲」の夜明け、空襲により両親や兄弟姉妹とはぐれて家族は実姉と2人となってしまった。 
以来、嘗ての親子が再会することは無かったという。 その「東京大空襲」の話は悲しく、強い怒りも打ち付ける対象が無く、思い出したくもないと言う。 
それ以来、私にとって「東京大空襲」が身近な関心の対象の一つに加わった。

終戦の年の3月9日の夜10時半頃、米軍機が東京の東部地区へ飛来したため、警戒警報も発令されたが、しばらくして警報は解除された。 9日も10日に日付が変更されてすぐ、「東京大空襲」が始まった。
300機近い米爆撃機B-29が再飛来して爆撃が始まった。 深川地区や浅草地区から始まり、港区等、東京区部の約3割のスペースに被害が拡大した。 
火炎は火柱となり、火煙は1500メートルにも及び、爆風は秒速50メートルにも達して、暴風並みの竜巻さえ発生したという。
戦死者は約10万人、負傷者はそれに倍加していたであろう。 被災者は100万人にも及んだ。 被災家屋数は25万戸をはるかに超えたという。

戦後判明したことであるが、アメリカの日本攻撃は、南海方面から北上し、沖縄戦も直前に迫っていた。 
日本本土攻撃は軍需産業の生産拠点やそれに連なる道路・鉄道などが標的であったが、1945年1月に司令官がカーチス・E・ルメイ少将に交代すると、大規模の「無差別攻撃」に切り変わり、日本国民の厭戦感情の昂揚・拡大を大きな目標とした。
従来の高高度飛行による爆弾投下では、日本上空の偏西風による命中率の悪さを改善するため、2000~2500メートルの低高度に変更して、的中率上昇に努めた。
日本人民家の消失効果を高めるため、爆発弾から焼夷弾に変更した。 アメリカ西部のユタ州の砂漠に日本家屋の街並みを造り、消失・焦土化効果の良い焼夷弾の開発を行った。 
その街造りに協力したのはチェコスロバキア(現チェコ)出身の建築家・アントニン・レーモンドである。
レーモンドは1919年に、第2代帝国ホテルの建築家・フランク・ロイド・ライトの下で働くため来日した。 
それらの成果が3月10日の「東京大空襲」で証明された。 沖縄戦の勝利とカーチス・ルメイ少将指揮による「東京大空襲」の次の大きな戦果はトルーマン大統領達の支持による広島・長崎への原子爆弾の投下であった。

かつてのカーチス・E・ルメイ少将は第二次世界大戦の功績により空軍中将に昇進し、空軍参謀長としてベトナム戦争を指揮し、その功績により空軍参謀総長を歴任した。
一方、日本の航空自衛隊を育成した功績により、1964年12月に航空自衛隊創立10周年を期して、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。 時の首相は佐藤栄作。 元首相・小泉純一郎の父親である小泉純也が防衛庁長官であり、参議院議員で元航空幕僚長・源田実からの強力な推薦などによるものであったという。
一方のレーモンドは帝国ホテル別館の建設後、1922年に独立し、レーモンド事務所を開設した。 日本建築界で活躍する前川國男、吉村順三などの建築家がレーモンド事務所から輩出した。
レーモンドは東京女子大総合計画を立案し、複数の講義棟、礼拝堂、講堂、宿舎等を建築している。 レーモンドが建築した宿舎で青春を過ごした多くの卒業生が宿舎の取り壊し反対に立ち上っているという記事が2~3年前に新聞にも記載された。
レーモンドは日本だけでも約50件程の建築物を残している。 東京女子大以外に聖心女子大や聖路加病院、戦後では1961年に高崎市の群馬音楽センター等の建築が有名である。
レーモンドは日米開戦の雰囲気が濃厚になると、日本国民からの嫌がらせなどで対日感情を損ねたことなどがあり、アメリカ・ユタ州の砂漠での焼夷弾開発に日本家屋の構造や配置等の情報提供に走らせたのではないかという研究も有ると言う。 
昨年、『ワシントンハイツ』の著者であり、「GHQの日本占領史」研究者でもある秋尾沙戸子によると、1919年に来日した際、アメリカ陸軍から情報活動の使命を帯びていたという米国公文書がアメリカの公文書館で見つかったそうである。 NHKの『ラジオ深夜便』で平成22年12月9日で放送され、同月刊誌の2011年3月号に記載されている。
そのレイモンドが1963年、日本政府から勲三等旭日中綬章を授与されている。日本は欧米の文化人などの有名人が好きな人種なんだと思う。
これが本当であれば、教育機関、医療機関、音楽堂などの文化施設建設を生業とする文化人でもこんなものかと考えさせられる。

2011年3月8日火曜日

イラク戦争 「捏造された情報」


↑ 引落されるサダム・フセイン像

Blog110308 イラク戦争 「捏造された情報」

2月20日の新聞記事で、これ本当のニュースなのかなというのが有った。 
10年ひと昔という言葉が有るが、イラク戦争ははるか昔の戦争で有ったような気がする。 来る3月20日で「イラク戦争」開戦後8年目の記念日である。 そんな時期にタイミングを合わせているようなニュースである。
イラク戦争開始の根拠であった大量破壊兵器の情報は「捏造」だったというのである。
2003年2月、開戦直前に米国のパウエル国務長官が国連でイラクの大量破壊兵器隠蔽の「証拠」と思われるペーパーをかざしながら、フセイン政権打倒理由を強調していた映像は今でも鮮明に記憶している。

今回の情報はロンドンの英紙ガーディアンが2月16日付紙面で伝えたものだと言う。 それによると、イラクの化学エンジニアーの男性が、2000年3月にドイツへの亡命が認められた。 その男性はフセイン政権を倒すために、大量破壊兵器の開発疑惑情報を独連邦情報局(BND)の当局者に提供し、「サダム・フセイン(大統領)追放のチャンス」を狙ったという。
BND025月以降、頻繁にその男性と接触し、取得した情報を米国へ伝達したものと思われる。
本当にこの情報がパウエル国務長官の主要情報源であったとしたら、イラク戦争とは何だったのかと思う。
1お万人以上のイラク国民が犠牲になっているであろうし、重傷~軽傷の被害者はそれに数倍されるであろう。

ベトナム戦争の「トンキン湾事件」と似たようなパターンである。 ベトナム戦争では多くの南北ベトナム人に犠牲を強い、また多くの米国兵の犠牲だけでなく、参戦した多くの米兵が精神的に異常をきたしたのであり、多くのアメリカ国民の心を引き裂いた。 兵器産業の一時的な繁栄以外は得るもの少なく、多くのものを失った戦争だったと思う。

「トンキン湾事件」とはアメリカがベトナム戦争に深く係わるきっかけを作った事件で有った。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナムの哨戒艇が米海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射して、大きな被害を与えた。 これをきっかけに、アメリカはベトナム戦争に大規模に介入し、「北爆」と言われる北ベトナムへの空爆を開始したのである。 アメリカ議会では上院では88対2、下院では416対0で大統領支持を決議したという。 2001年の9・11テロの対処、アフガニスタンのアルカイーダ攻撃やイラクのフセイン攻撃と同じパターンである。

しかし、この「トンキン湾事件」は後に意外な事実が露呈する。 その事件より数年後の1971年6月、ニューヨーク・タイムスの二ル・シーハン記者が、報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年~1968年』、別名ペンタゴン・ペーパーズを入手し、「トンキン湾事件」はアメリカが仕組んだものだったことを暴露したのだと言う。

「イラク戦争は」は「ベトナム戦争」のコピーの様なパターンで有った。 日本が1931年に中国において「柳条湖事件」を契機に「満州事変」を展開したのも全く同じパターンである。 
人間という動物は戦争が好きな動物なのであろうか。 いや、戦争を始めると大きな金儲けが期待できるのかもしれない。

2011年3月7日月曜日

中国がカザブへ鉄道技術輸出

                                       ↑ 中国の高速鉄道 CRH2型 最高速度350Km 

Blog110307  中国がカザブへ鉄道技術輸出

数日前の新聞にカザフスタンが進める高速鉄道の建設で、中国の技術を採用することで中国と合意し、覚書を結んだという。 2015年に完成予定で有り、全長1050Km、時速は350であるという。 記事の大きさは、今ではあまり使われなくなったが、「マッチ箱サイズ」ほどの大きさの記事だった。
計画ではカザフの首都アスタナからキルギスとの国境に近いアルマトイまでである。 全長1050Kmとのことであるが、この距離は日本でいえば東京駅から博多までが1174Kmであるからその距離に近い。 カザフスタンは中央アジアで最も注目されている国である。 石油、天然ガスなどのエネルギー資源だけでなく、ウランの生産では世界第3位であり,その他の地下資源では世界で10以内に非鉄金属9種あるという、先進国で注目の国の一つである。
日本ではJR東日本で最高時速300Km、3月12日に全線開通するJR九州でも最高速度は300Km以下である。 大平原のカザフスタンといえども、最高スピード350KmPR効果は大きいのではなかろうかと思う。

地球温暖化対策や新興国の輸送手段増強などで、世界中で「自動車」より「高速鉄道」という大きな流れが有るという。 
アメリカのオバマ政権誕生直後は「クリーンエネルギー化」が大きい柱の一つで有り、前原外務大臣が渡米時に「高速鉄道」のセールスマンよろしくPRに努めたり、前カリフォルニア州知事のシュワルツネッカーが来日時に大宮駅から東京駅までJR東日本新幹線に乗車して、乗り心地を味わったと言うが、その後は音沙汰がないようである。 特に昨秋の中間選挙の下院選で民主党は共和党に完敗してから、「クリーンエネルギー化」のペースはトーンダウンしたらしく、フロリダ州では高速鉄道は棚上げの方向という報道がなされている。

そんな状況下で中国がカザフスタンの物件を抑えた影響は今後の流れにどう影響するのであろうか。 試しにインターネットで、「中国」「カザフスタン」「鉄道技術」で検索してみたら、3万8千件ヒットした。
上位30番以降の情報は中国新聞の日本語訳であり、記事の面積は「マッチ箱」の50倍以上のものが多い。
中国ではすごい喜び様である。 日本のメディアの報道が小さく、そして少なく、対して中国の報道が大きく、そしてボリュームが多い気持ちは判る。
今回は英文の情報を検索していないが、昨年8月18日頃、4~6月間の日本のGDPが発表された時、アメリカのテレビや新聞などでは2010年1月から6月までのGDPで日本が中国に追い抜かれたと大報道したという情報を、アメリカに居る日本人から知らされた。 地方テレビでも、地方新聞でも大メディアと同じ様に報道しているという。
その知人が勤める研究所はヨーロッパの主要国の研究者もいて、彼らの母国もアメリカと同じような報道をしていたという。 
インターネットで検索してみたら、アメリカに限らず、イギリス、カナダ、オーストラリアやシンガポールの新聞や雑誌社のウエブサイトでは大きく報道されていた。 ある新聞では第一面のトップ記事であったり、経済面に2ページをさいているのも有った。 それに比べて、日本のメディアと言ってもテレビでは気づかなかったが、新聞では経済面の中央近辺に「ハガキサイズ」の6~7割程度の記事であり、海外がどのように取り扱っているかという記事にはお目にかかれなかった。

今回の「鉄道技術」報道はどうでもよいが、ワールドワイドで、日本の「鉄道技術」は頑張ってほしいものである。数日前の新聞にカザフスタンが進める高速鉄道の建設で、中国の技術を採用することで中国と合意し、覚書を結んだという。 2015年に完成予定で有り、全長1050Km、時速は350であるという。 記事の大きさは、今ではあまり使われなくなったが、「マッチ箱サイズ」ほどの大きさの記事だった。
計画ではカザフの首都アスタナからキルギスとの国境に近いアルマトイまでである。 全長1050Kmとのことであるが、この距離は日本でいえば東京駅から博多までが1174Kmであるからその距離に近い。 カザフスタンは中央アジアで最も注目されている国である。 石油、天然ガスなどのエネルギー資源だけでなく、ウランの生産では世界第3位であり,その他の地下資源では世界で10以内に非鉄金属9種あるという、先進国で注目の国の一つである。
日本ではJR東日本で最高時速300Km、3月12日に全線開通するJR九州でも最高速度は300Km以下である。 大平原のカザフスタンといえども、最高スピード350KmPR効果は大きいのではなかろうかと思う。

地球温暖化対策や新興国の輸送手段増強などで、世界中で「自動車」より「高速鉄道」という大きな流れが有るという。 
アメリカのオバマ政権誕生直後は「クリーンエネルギー化」が大きい柱の一つで有り、前原外務大臣が渡米時に「高速鉄道」のセールスマンよろしくPRに努めたり、前カリフォルニア州知事のシュワルツネッカーが来日時に大宮駅から東京駅までJR東日本新幹線に乗車して、乗り心地を味わったと言うが、その後は音沙汰がないようである。 特に昨秋の中間選挙の下院選で民主党は共和党に完敗してから、「クリーンエネルギー化」のペースはトーンダウンしたらしく、フロリダ州では高速鉄道は棚上げの方向という報道がなされている。

そんな状況下で中国がカザフスタンの物件を抑えた影響は今後の流れにどう影響するのであろうか。 試しにインターネットで、「中国」「カザフスタン」「鉄道技術」で検索してみたら、3万8千件ヒットした。
上位30番以降の情報は中国新聞の日本語訳であり、記事の面積は「マッチ箱」の50倍以上のものが多い。
中国ではすごい喜び様である。 日本のメディアの報道が小さく、そして少なく、対して中国の報道が大きく、そしてボリュームが多い気持ちは判る。
今回は英文の情報を検索していないが、昨年8月18日頃、4~6月間の日本のGDPが発表された時、アメリカのテレビや新聞などでは2010年1月から6月までのGDPで日本が中国に追い抜かれたと大報道したという情報を、アメリカに居る日本人から知らされた。 地方テレビでも、地方新聞でも大メディアと同じ様に報道しているという。
その知人が勤める研究所はヨーロッパの主要国の研究者もいて、彼らの母国もアメリカと同じような報道をしていたという。 
インターネットで検索してみたら、アメリカに限らず、イギリス、カナダ、オーストラリアやシンガポールの新聞や雑誌社のウエブサイトでは大きく報道されていた。 ある新聞では第一面のトップ記事であったり、経済面に2ページをさいているのも有った。 それに比べて、日本のメディアと言ってもテレビでは気づかなかったが、新聞では経済面の中央近辺に「ハガキサイズ」の6~7割程度の記事であり、海外がどのように取り扱っているかという記事にはお目にかかれなかった。

今回の「鉄道技術」報道はどうでもよいが、ワールドワイドで、日本の「鉄道技術」は頑張ってほしいものである。

2011年3月5日土曜日

アメリカ「政府閉鎖」の危機


                       ↑ ホワイトハウス


Blog110305 アメリカ「政府閉鎖」の危機

日本の政治も衆参のねじれ国会で年度末の3月初旬になったが、4月から始まる平成23年度の予算成立の予測が立ちかねている。
昭和20年の敗戦以来、昔の父母の様にあがめて来たアメリカ合衆国も現在、「政府閉鎖」の危機に瀕している。
昨年11月の中間選挙で民主党政権は上院では過半数を確保したが、下院では共和党に主導権を握られた。 
将に、日本はアメリカのコピー状態である。 アメリカが日本のコピー状態になったのかもしれない。 親子で無く、団子兄弟なのかも知れない。

2月22日にアメリカに居る知人から「3月4日までに米国の上下院で折り合いが合わないと、暫定予算の期限が切れるので、政府機関が時限付きでshut down する可能性が高い。 
クリントン政権の1995年に経験したそうだ。 
現在、勤務している国立研究所など電源も切られ、出入りも不可能になる。 職員の給料もその間は遅配になる」などなどであった。 
下院の過半数を押さえている共和党と上院の過半数を押さえている民主党と対立して、
2011会計年度の歳出削減を主張する下院の共和党と大幅削減によって景気に悪影響があると削減を譲らない民主党の上院との対立が解消しない。 大半の政府機関が3月4日に「閉鎖状態」になるのだと言う話だった。 
最初は理解できなかったが、更に詳しく聞いたり、調べたりしたらその通りのようだ。
政府中枢部門や防衛、治安、医療、衛生などの必要最低限のものを除いて、全て停止、即ち、「政府封鎖」になる。 即ち休眠状態、仮死状態になるのだそうだ。
日本では3月5日の新聞報道まで、情報は流れていなかったと思う。 アメリカからの事前情報がなかったら新聞記事に気づかなかったかもしれない。 
とりあえず暫定予算は2週間延期になり、3月18日が次の山だとのことである。
日本でも3月中に予算成立が出来なかったら、アメリカの様にしたらどうかと思う。 
しかし、そんなことになったら大変である。 国家の疲労崩壊である。 財務省、教育機関、厚生関係などの国家公務員が一切機能しなくなるのである。 税関なども停止するのであるから、国境で人や物の出入りが止まる可能性だってある。 日本国内の問題だけではない。 外国にも大きな影響を与える。 国の信用さえなくなってしまう。 
日本でも、過去に年度内に予算成立が不可能だったことが有ったが、暫定予算で処理する逃げ道を作っているようだが、日本もアメリカの現在の政治状態に近いのだという認識だけは国民に徹底させた方が良いと思う。
国民も政治家の選出にもっと厳しくならなければいけないのではなかろうか。 
まさに、人間でいえば生死をさまよう峠に近い状態なのである。